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広島高等裁判所 昭和43年(う)309号 判決 1969年7月29日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

<前略>

所論は要するに、原判決は刑事訴訟法第三三八条第四号の解釈を誤つた結果、不法に公訴を棄却したものであつて、到底破棄を免れないというのである。

よつて記録および証拠を調査するに、被告人は昭和二二年一一月七日生れであるが、昭和四二年一月二八日午前三時五〇分ごろ普通貨物自動車を運転して福岡県宗像郡宗像町大字田熊八二九番地先国道を東進中、自車を左側ガードレールに衝突させ、更に右路外田圃に転落させて本件事故を起したものであること、前同日同時刻ごろ被告人から本件事故発生の急報を受けた宗像警察署の交通事故係巡査今里洋志は、外一名の巡査とともに本件事故現場に至り、被告人及び被害者深海正人らを立会させて実況見分し、そのころ実況見分調書の作成を終り、前同日被害者二名(深海正人・田中健次)の各診断書を、又同月三〇日にガードレールの損壊についての被害届と修理費用の見積書を各関係人から提出させ、同年二月四日宗像警察署に任意出頭した被告人及び右深海の両名を右今里巡査が取調べ、同日右両名の供述調書を作成したこと、そして同年三月二二日防長日産モーター株式会社から被告人の事故車の修理費用等の見積書が提出されたので、その後一〇日位経過したころ、右今里巡査が右書面に基づき本件事故現場を更に見分し、被告人及び被害者らの供述の信憑性を確認し、そのころまでに本件交通事故に関する必要書類の作成及び収集を完了したこと、しかるに右今里巡査はその後六か月余り右捜査記録を手許に保管し、同年一〇月一六日に至り漸く被告人に対する業務上過失傷害等被疑事件の捜査報告書一通を作成して、右捜査記録を上司警察官である事故係主任福岡康雄部長に引き継いだが、同署交通課長、同署々長荒木繁一の決済を経るころには被告人はすでに満二〇才(昭和四二年一一月六日の経過により成人となる)に達していたこと、そのため被告人はその後昭和四三年五月一七日徳山区検察庁検察官より公訴提起(略式命令請求)されたことが各認められる。

ところで捜査官が少年の被疑事件を家庭裁判所に送致するのは、少年法第四二条に規定するとおり、その捜査を遂げ嫌疑のあるときに限られるから、これを確認するために相当の日時を要することは当然で、捜査に長期の日時を要した結果少年の被疑事件について家庭裁判所の審判の機会が失われたとしても、その捜査手続を常に少年法の趣旨に反するものと解するのは相当でないけれども、現行少年法が家庭裁判所先議の原則を採用し、少年に関する被疑事件を刑事処分に付すべきかどうかの裁量権を、専ら家庭裁判所に委ねている点からみて、捜査官が故意又は重大な過失によつて事件処理を放置、遅延させ、少年の被疑事件について家庭裁判所の審判の機会を失わせた場合には、このような捜査は少年法の趣旨に反するものとして違法となるものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、本件は被告人が満一九才二か月余の少年時の被疑事件であるのに、その捜査記録が宗像警察署から宗像地方検察庁に送致される前に、被告人が満二〇才に達したため、成人として公訴提起されたことが認められるが、本件記録によると、本件被疑事件を当初から担当していた右今里巡査は、本件外七件の交通事故未済事件を抱えたまま昭和四二年四月一日付で従来の交通事故係から交通指導係に、更に同年九月一日付で外勤係に配置換となつたが、同年八月末までに右未済事件のうち四件を処理しながら、本件については被告人が事故当時成人年令の切迫した満一九才二か月余の少年であることを十分に知悉し、かつ本件については他に捜査すべき何ものもないのに、そのまま日時を経過し、前認定のとおり同年一〇月一六日に至つてはじめて被告人に対する業務上過失傷害等被疑事件の捜査報告書一通を作成して、右捜査記録を上司警察官に引継いだものであること、しかして右捜査報告書は紙数にして三枚、実質的な記載事項は僅か一葉の簡単な報告書であること、及び今里巡査が本件を上司警察官に引継いだ際、被告人が僅か二〇日余りで満二〇才に達するのに、この点に関して特に配慮した様子は窺われず、これを引継いだ上司警察官も、また少年の年令が満二〇才に接近しているのに不注意にもこれを看過し日時を経過したことが各認められるのであるから、この点に関し本件担当警察官に重大な過失があつたと認めるのが相当である。

そうだとすれば警察の本件送致に至る捜査手続はまさに違法なものであるといわなければならない。

ところで捜査段階における違法がその後の公訴提起の手続を当然に無効たらしめるか否かは速断し得ない困難な問題であつて、一般的にはむしろ消極に解すべきであるけれども、当該捜査手続の違法が重大なものであり、しかもその違法が公訴提起の前提条件に関係を有するような場合には、公訴提起自体はいかに法定の手続を履践していたとしても、なおこれを違法としなければならない実質上の理由が存するものとして、捜査手続上の違法が公訴提起の効力に影響を及ぼし、これを無効ならしめる場合のあり得ることを否定し得ない。ところで本件において公訴提起の手続が、提起の時点においてそれ自体としては違法なものでないことは検察官所論のとおりであるが、警察における捜査手続の前記過失は、現行少年法の家庭裁判所先議の原則に違背し、少年の被疑事件について、家庭裁判所における審判の機会、すなわち、これを保護処分に止めるか、或は検察官送致の決定をなし刑事処分の対象とするかについての、家庭裁判所の重要な判断の機会を失わせたものであるから、その過失は前記態様と共に結果もまた重大といわざるをえず、且つ右は公訴提起の有効条件に関するものであるから、捜査手続の右違法は公訴提起の手続の有効無効に関しきわめて密接な関係を有し、証拠の収集や身柄拘束等の違法と同一に論じ得ないものというべく、本件公訴の提起は右違法の故に結局刑事訴訟法第三三八条第四号掲記の場合に当るものといわなければならない。

所論は、右のような法解釈は、同条同号による公訴棄却判決がその原因となつた公訴提起手続の不備を是正して再度の公訴提起ができるいわゆる形式的裁判であることと矛盾する旨主張するので検討するに、公訴棄却判決が形式的裁判で、その棄却の原因となつた手続の不備を是正して再度の公訴提起がなしうること所論のとおりであるが、他の法的規制によつて右手続の不備を是正しえないため再度の公訴提起がなしえない場合のあること(例えば親告罪における告訴の欠如を理由とする公訴棄却判決の場合ですでに告訴期間を徒過しているような場合)勿論であり、本件の場合もまさに少年法との関係において常にその手続の不備が是正しえない場合に該当するものであつて、公訴提起がなしえないからといつて一概に形式的裁判であることと矛盾するものということはできない。

次いで論旨は、本件犯行は本来刑事処分相当の事案であるから公訴提起した検察官の措置は妥当である旨主張するが、検察官の立場において仮にそのような判断が可能であるとしても、そのことが家庭裁判所における審判の機会を失わせた本件捜査手続の違法を治癒させ或いは正当化させるものでないこと勿論である。

してみると原判決が以上と同趣旨のもとに、本件公訴提起の手続が無効であるとして、これを棄却したのは正当であるから論旨は理由がない。

よつて本件控訴は理由がないので刑事訴訟法第三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(幸田輝治 浅野芳朗 畠山勝美)

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